今日は午前中に中国概況のテスト。
テキスト持込OKだというので、昨日のうちに、以前韓国人のクラスメートから
コピーしてもらったプリントの内容をチェックして書き込んで持っていったのだが、
彼らはそのプリントも持参。教科書にも七夕の飾りのように付箋紙が張ってあった。
数字は覚えていないが、中国に関わって長いので教科書を見なくても書けるところは
あるのだが、それでも書き問題になったら教科書を見ないわけには行かない。
昨日のナーシングのテストのように「正しくないものはどれか」
という質問が無いのでちょっと安心したりする。
去年までの問題だというプリントにあったのは、白地図に省の名前を
書いていくものだったが今年はそれが「四大大河を書き入れなさい」だった。
あららのらー。私、省の名前ならたぶん本を見なくても書けるけど、河ねえー。
しかも地図がカラーのものをコピーしたのか妙にぼけてるし。
まあひとまず終わってよかった。後は上海語だ。
家に帰ったら夫からメールが来ていた。
10月の初めに上海で行われるスペシャルオリンピックで、選手や家族、
応援団の為のボランティアを募集中ということだった。
以前、私が中国語を習い始めた頃、留学から帰ってしばらくの頃、
中国語ができてもそれを使える場所というのはごく限られていたし、
それを使って何かができる、例えば仕事とか、というのもごく限られた人たちだった。
そうなると、それを生かすためにボランティアをやる人もいたのだが、
今時は一応中国語ができますというふれこみであれば、
仕事の能力はさておき、就職できたりする世の中なので、
中国語を生かしてボランティアをしたい、という志のある人が
どれだけいるんだろうなと思う。
そもそも、ボランティアというもの自体が、何かメリットを生み出すものとして
日本人が行うような傾向にあるように見える。
そこに、自分の心が満足するだけでない、もっと物質至上三次元的な
考え方があるように見えてならないのよね。
ボランティアというのは、自分の身をそこに投げ出して、
相手に貢献すると言うものだと思うんだけど。
そして、そこには見返りを求める気持ちなんて無いと思うんだけどね。
だって「自ら志願してそれをする」という意味のはず、ボランティア。
以前、高校生なのか大学生なのか、もっと小さい年齢の子供だったか忘れたけど、
学外でボランティアをやったらそれを成績評価に入れるみたいなことを言われていて、
それを聞いたときも、なんか違うんじゃないのかな〜と思ったよ。
要するにそれをやることで成績に加点されるなら、みなやるだろう。
それはボランティアの本筋から離れている。教育的労働に過ぎない。
私の友達みたいに「最初はそういう意識でも、やっているうちに、
意識が変わってくるかもしれないじゃん」という、
鳴くまで待とうホトトギスみたいな考えの人もいるのだが、
そういう意識を持っている人というのはそんなにいない。
少なくとも私が出会ってきた人たちというのは、以前に比べて
高い意識のあるボランティアが少なくなっているように見える。
語学留学をしていたというだけで、使い物にならない輩が多い中、
企業は語学の次はどんなスキルを求めてくるのやら。
ボランティアしてました、と売り込んでくる輩もいるかもね。
そう本人がいうだけでその人物を過大評価してはいけない。志を見るべし、だ。
それはさておき、志のあるボランティア募集中。
学生でも主婦でも、志がある人募集中。